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台峯日乗109

 

ふたたびボロ泣きの話題で恐縮だが、昨日、鎌倉市・川喜多映画記念館に『二十四の瞳』を観に行った。2時間半泣きっぱなしだった、お陰で今朝はお通じが良かった、何度か書いてきたが泣くことは消化器系の働きに効果的で、人間の身体には必要不可欠なのである。

 

第一、何処かの店で貰ったパンフレットのなかに『二十四の瞳』の案内広告(上)を見つけた途端に目頭が熱くなった。『ひまわり』も号泣する映画のひとつで、タイトルバックにヘンリー・マンシーニの主題曲が流れてくるとそれだけで泣く、つまり私はパブロフの犬である。号泣が大袈裟なら嗚咽である。

 

木下恵介のカット割りは単調で同じコンポジションを繰り返し繰り返し使うのでいささか飽きるが、実はこれが木下の手で、映画の半分あたりから抵抗感が無くなり、音楽はすべて子供の歌(童謡+卒業唱歌)のアカペラで、これもフラストレーションというか単調さを否めなかったのが、最後の最後にオーケストラと合唱団の歌になり号泣に拍車を掛けることになる。小津安二郎とはまったく違う木下の手法はそれでも映画的言語を遺憾なく発揮して実に心地良い。脱帽。

 

私のアパートは北鎌倉駅から急な坂道を登った山の途中にあり、ちょうど向かい側の山が円覚寺で、勿論ちょくちょくお参りしているが、境内の墓地に以前二度三度、小津の墓参りをしたことがあり、その向かい側に木下家(木下恵介)の墓石がある。

 

なぜ『二十四の瞳』がそれほど号泣映画かというと、私がこの映画を初めて観たのは小学校に上がったばかりの頃、母に連れられて行ったからである。映画の内容はほとんど理解しなかった。封切りは昭和29年、私が4才のときだったけれど、その年には観ていまい、青戸(か亀有)の映画館に回ってきたのは翌年か翌々年ではなかったか、母はその後も私を連れて『喜びも悲しみも幾年月』や『第五福竜丸』を観に行った。しかし母と最初に観た映画は上野池之端にあったフランス座?(いや、それは後年ピンク映画専門館になってからの名前だ、いやいや、フランス座は永井荷風が通った浅草のストリップ小屋の名だ、まあどうでも良い)の『百獣の王ライオン』と『沈黙の世界』(クストー)である。いまグーグルで調べたらクストーは1956年とあった。池之端は封切館だったから矢張り私が小学校一年生ということになる。母のこうした振る舞いが私を早熟にさせたのは明らかである。

 

母との想い出が『二十四の瞳』に重なる。泣かない訳がない。

 

 

 

 

 


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  • 2020.02.07 Friday
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