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台峯日乗106

 

ボロ泣きした。

 

玉川奈々福・銭形平次捕物控雪の精 長編浪曲一挙口演。亀戸駅前、カメリアホール、浪曲の公演には大きすぎる小屋で、PAの調整が不備だったせいもあり、ことばが好く聞き取れない箇所が多くて不満だったが、人気浪曲師の独演会だから仕方がない。

 

 ボロ泣きといって、大仰に云っている訳ではない、横隔膜が上下に痙攣し嗚咽と呼ぶに相応しい泣き方であった。ふたたびカタルシスである。繰り返すが、悲劇の中に恐れと憐れみを体験することで精神が浄化されるのがカタルシスであるとアリストテレスは言う。憐れみとは、デカルトによれば、悪を被るべきではない人々が理不尽にも悪を被るのを見るとき、愛または善意を交えた一種の悲しみであり、羨みや嘲りの反対語である。憐れみと表現するより、日本語にはしかし憐憫の情という便利な語彙がある。野村胡堂原作の銭形平次捕物控雪の精は良く出来た物語であり、憐憫の情を喚起させるに十分な資料ではあるが、われわれは物語に反応しているのではなく、物語によって起こされた驚き・愛・憎しみ・欲望・喜び・悲しみ(六大情念)の混合物の(脳内の)化学反応によってカタルシスを体験し、精神が浄化されるのであろう。

 

 帰途、亀戸天神に詣でて、門前の船橋屋に立ち寄ってから隣の中華屋「菜苑」で純レバを食べた。純レバを食べるのは30年振りであった、むかし新小岩に住んでいた頃、蔵前橋通りに面した店前に車を停め、週に一度は純レバを食べて帰宅したものだった。30年経ったいまも味は変わらなかったが、先代の姿はなく、顔のよく似た若者(先代の息子であろう)が厨房に立っていた。

 

 11月朝カル講座の準備は着々とすすんでいる。『意志と表象としての世界』『芸術論20講』『芸術の体系』を下敷きにして、むろんこれらの本には余り触れないが、エッカルト・ノイマン編『バウハウスの人々』をメインテキストに使う(引用)積もりである。『バウハウスの人々』は1964年の出版だが今年ようやく日本語訳が出た(みすず書房)。バウハウスに関わりのあった人々の回想エッセイとインタビューのアンソロジーで実に面白い。中でもフェリックス・クレーの回想が好い。バウハウスとは、一言で云えば規律あるカオスである。「規律あるカオス」は語義矛盾なのだが、クレーが日記に記した「記憶を伴った抽象」にそれは通底する。

 

 上の写真は娘がコペンハーゲンから8月31日に送ってくれた。先月、娘は望みどおりデンマークの会社に就職した。当分日本には帰って来ないだろう。

 

 

 

 

 

 


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