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台峯日乗 98

 

 ジョン・マッケイン氏が亡くなった。マッケイン氏には何ら興味はないが、バラク・オバマとマッケインが大統領選を戦ったとき、私は数日ヒューストンに居たことがある、街をブラブラして選挙ショップを覗いたら、大統領選も大詰めの頃だった、キャンペーンTシャツがバーゲンになっていたので敗色濃厚と云われたマッケイン応援Tシャツを買った。ピンク色の実にオシャレなTシャツだった、あれから何年になるのだろう、大事にしていたがいつの間にかTシャツが手元になくなっていた、残念。どうでも好い話題だが・・・。

 

 友人の瀬川裕美子が出演するので、一昨日に引き続いて両国へ行った、ドビュッシー没後100年記念ピアノ・コンサート(フランス現代音楽協会)の会場が両国の門天ホールという場所だった。両国付いている。写真は、もう何年も電車からしか見たことのない隅田川を、コンサートの帰り、歩いて両国橋を渡ったので橋上から眺めたものである。鮎川信夫に『橋上の人』という詩があった。

 

 詩といえば、この炎天下ベランダに蟻が大勢出て、干涸らびたヤモリの子どもや小昆虫の遺骸をせっせと運んでいる、先日も蛾が死んでいたのを何匹もの力で運んでいた。「蟻が蝶を運んでいる ああヨットのようだ」松村英子だったと思う、小学校か中学校の教科書に載っていた。

 

 今年2月、恒例 Segaway Project(瀬川裕美子ピアノ・リサイタル、彼女はここ2、3年パウル・クレーをテーマにプログラムを組んでいる、それで私も知己を得たが)のアンコールで、事もあろうに瀬川がヘルダーリンの『暁の歌』を唄った(弾き語り)、へっ!ピアニストが演奏会のアンコールで歌を唄うか??!!とびっくりしたが、よくよく考えれば正しい。ハイデガーも『芸術作品の根源』のなかに、詩の、詩的言語の、ことばの、哲学を乗り越える(?)地平に、ヘルダーリンの「漂泊」の一節を引用している。

 

 一見脈絡のないことをゴチャゴチャと書いているが、ウィーン世紀転換期の資料で言語批判、言語論、言語哲学の一端に触れていると私の頭の中は点、点、点であって、これらを線で結ぶための試行錯誤であるから許されたい。今日のコンサートで初演された伊藤美由紀さん(作曲家)の2台のピアノの為の『二重星』は、光学望遠鏡で覗くと重なって見える二つ星が実は相当に離れた星どおしで、二つの音(オン)の共鳴と不共鳴を狙った曲だと仰っていらしたが、ことばにも似たような状態が生じる、外国語を日本語に翻訳すると尚更である。二重星というタイトルを目にして、昨年であったか、レクチャーと演奏(名前を失念したがイタリアの人の好いおじさんであった)を二日掛かりで聴いた「シュトックハウゼンの星座(コンステレーション)」を思い出した。伊藤美由紀さんには失礼だが基軸が違うのである、ベートーヴェンを背負ったシュトックハウゼンの情熱的な時空にあらためて敬意を表したい、と思った。

 

 「存在了解」がいろいろな方角からやって来る。ベルイマンの項で書いた映画的言語とは、映画による言語、視覚と聴覚を同時に刺激するランゲージのことで、言語批判を含むが存在了解とは関係ない。映画は娯楽であり思想でもあるが、音楽のように純粋言語ではない。今日、ドビュッシーとドビュッシーへのオマージュとして捧げられた日本の現代音楽を聴きながら確認した。クロード・ドビュッシー没後100年、近代が完全に終止符を打った1918年にドビュッシーが亡くなったのも示唆的であった。


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  • 2018.08.26 Sunday
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