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台峯日乗96

 

新小岩セミナー

去年の暮れあたりだったか、新小岩でセミナーをするようになった。私が生徒で講師は高校で一年先輩だったW。Wは某有名国立大学で論理学(数理哲学)を講じていた人で数年前に退官した。きっかけは、今年4月のミュンヘン・スピーチのテキストに論理的に不都合があるかどうかを見てもらうことだった。高校時代から可愛がってもらっているので快く引き受けてくれた。

 

ミュンヘン・スピーチが終わってから、何となくこのままセミナーを続けることになった。目下のテーマは、私が依頼を受けた「クリムトのウィーン」という講演(11月11日、たばこと塩の博物館)について構成と論理の相談である。「それだったら『ウィトゲンシュタインのウィーン』を読んだらどうか」と云われ、そうだった、むかしその本は読んだことがあると思い出して、書架を探したが見つからずAmazonで買って読みなおした。むかし読んだことがあると云っても1980年頃のことだから内容はとっくに忘れていた。読みなおしてみたら実に難解な本であった。

 

ウィーン世紀転換期は文化の百花繚乱である。人物名を拾ってみてもグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ(以上画家)、オットー・ヴァグナー、アドルフ・ロース(建築)、ヨハネス・ブラームス、アーノルト・シェーンベルク、グスタフ・マーラー、アントン・ブルックナー、ブルーノ・ワルター、パブロ・カザルス(音楽)、ヘルマン・バール、シュテファン・ツヴァク、フーゴー・フォン・ホフマンスタール、アルトゥール・シュニッツラー(文学)、カール・クラウス(ジャーナリズム、言語批判)、ジークムント・フロイト(精神病理学)、エルンスト・マッハ、ハインリヒ・ヘルツ、ルートヴィヒ・ボルツマン(物理学)であり、彼らの多くが毎日にように「カフェ・グリーンシュタイドル」に集まっては、ああでもないこうでもないと話し合っていた。彼らに共通の哲学(時代認識)があったからである。戦後日本の、理系とか文系とかいう誠に馬鹿馬鹿しい区分などなかった。原子物理学の嚆矢となったボルツマンはブルックナーにピアノを習っていたし、マーラーは度々精神神経的悩みを抱えてフロイトを訪ねていた。

 

「クリムトのウィーン」はまだ時間があるので、これから周到な準備をする積もりだが、今日のセミナーの話題はウィーンではなくハイデガーだった。ミュンヘン・スピーチでも引用したが、ハイデガーの云う「存在了解」とは何か、「世界内存在」とは何かについてWの話を聞いた。なるほどそうかと納得した。20世紀最高の哲学者のひとりハイデガーの、その思想の基軸となる語彙をこれほど簡明に説明できる人は滅多にいないだろうと思った。持つべきは友、持つべきは佳き先輩である。高校時代、私は浮いていたので先輩のWとしか遊ばなかった、それから50年、頻繁にではないが、時折りWと会いながら話しあってきた。

 

上の写真は先週木曜日から昨日まで3泊4日のキャンプをした野尻湖の夕景。


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  • 2018.10.04 Thursday
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