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台峯日乗 94

ぽじたーの

先週月曜日から一週間、南イタリアに遊ぶ。

 写真はポジターノを見下ろす丘の上からの眺めである。ナポリ3泊、アマルフィ1泊、ローマ2泊の短い旅であったが、クレー協会恒例の「クレーの旅を訪ねる」シリーズの最後である。10年以上をかけて、チュニジア、ローマ、ミュンヒェン、シチリア、エジプトを訪ね歩きナポリだけが残っていた。1901年秋から翌年春までクレーはイタリア旅行をしているが、旅行と云うよりローマ留学と呼ぶほうがふさわしい。

 1902年3月、22才のクレーは学友と共にローマからナポリに赴き2週間ほど滞在した。近隣を歩きまわり、日記にはソレントからアマルフィまで7時間をかけて歩いたと書かれているが、私たちもその跡を追って、ナポリからソレントへ立ち寄りその夜はアマルフィに宿泊した。むろんバスで移動したから1時間半の行程である。地中海でもっとも美しいといわれる海岸線を眼下に眺めながら、途上、ポジターノの街を観た。

ヴェスヴィーオ ナポリに着いた翌日はポンペイ遺跡を訪れたが、春を売る女性たちの店舗跡の壁には交合図が残っていて、先々週、永青文庫で観た春画展の続きを観るような心持ちがした。遺跡から発掘された壁画の多くはナポリ考古学博物館に展示されている。クレーは何度も博物館へ足を運び、このような画像を熱心に観たであろう。私たちの宿はナポリ湾の西にあるサンタ・ルチアの港にあった。♪サンタ〜ルチ〜〜アのサンタ・ルチアだ。

 サンタ・ルチアから湾の対岸にヴェスヴィーオが霞んで見える。鉱物学者でもあったゲーテは、イタリア紀行の記事によれば、火口付近まで登ってつぶさに火山を観察しているが、かつてこの山は富士山ほどの高さがあり噴火で現在の形姿となったらしい。ゲーテが登っていったのも現在の形をしたヴェスヴィーオだ。

考古学博物館 考古学博物館に展示されているのは、もちろん春画ばかりではない、右のようなギリシャの神々をモチーフにした興味深い画像は近代絵画の立体性を存分に含んでいる。装飾画は実にお洒落で、同行のメンバーの誰かが、人間の文化ってぜんぜん昔のままなんですね〜〜!と仰っていらしたが、ほんとうにその通りだと思えるモダニズムなのである。クレーは旅行のあと、ポンペイ壁画を引用した小さな水彩画を数点描いている。

 クレーが旅した跡を追って、最後に残っていた目的地が南イタリアであったのだが、私には別の思い入れがあった。

 ナポリの二日目、当初の予定では街を散策して考古学博物館へ行くことになっていたのだが、朝起きると余りにも好い天気で、午前中、宿舎近くの波止場から高速フェリーに乗ってカプリ島へ行くことにした。同行のメンバーは女性8名、またしても女子会にオッサンがひとり紛れる体であったのだが、そんなことは兎も角、クレーはナポリ滞在中、カプリ島へ行った見知らぬ人に、カプリに行かないのは愚かだ、などと云われていささか憤慨しているのだが、私たちはこの機会に島を訪ねてみたのである。

 カプリにある名高い碧い洞窟は、シーズンオフのためか見物用の小舟は運航していなかったが、代わりに山へ行こうということになり、アナカプリなる高地の村までタクシーで行き、そこからスキーリフトで(スキー場がある訳ではない)峯の天辺まで登り、高所恐怖症の私にはいささか辛かったが、遥か眼下に広がる海は絶景で、エメラルドグリーンの水が穏やかであった。

カプリ島

 カプリは、1950年代、パブロ・ネルーダが政治的な事由で自国チリを逃れて滞在した島であった。ネルーダは日本ではあまり知られていない、皆無かも知れない。カプリに逃れたネルーダをモデルに映画『イル・ポスティーノ』が撮られている。スペイン語圏では無論のこと、アメリカでも良く知られた愛の詩人だ。映画公開は1994年で、たまたまニューヨークにいた私は、書店の店先で売っていたネルーダの詩を朗読したCDを見つけ、スティングやマドンナやポピュラー歌手たちが朗読してるのだが、なにゆえ私が『イル・ポスティーノ』を良く知っているかといえば、私もネルーダの詩など知らなかったのだが、この映画の音楽を作曲したルイス・バガロフとは、マジョルカ島の友人ロベルト・オテロの紹介でその数年前にマドリッドで会い、あるとき、ロベルトとバガロフと私の3人でニューヨークに滞在し、バガロフは毎日ジュリアード音楽院の図書室に通い、古典楽譜を漁っていたが、夜になると3人で食事を共にしながらあれやこれやと音楽の話をしていたからである。

 オランダの画家M.C. エッシャーに「メタモルフォーゼ供廚箸い作品がある。作品のモティーフはアマルフィ海岸で、1976年日本で最初のエッシャー展をプロデュースした私にとって(自慢話で嫌らしいが、自慢であろう)アマルフィは必ず訪れてみたかった場所であった。いま、ソレントからポジターノ(これもエッシャーに同名の作品があるが)、アマルフィに至る海岸を眺めてみて、エッシャーの絵画(版画)の現場を観ることで何かしら私の疑問が氷解するような気がしているのだが、それが何なのかはまだ解らずにいる。

 日本を発つ数日前、所用で関西に出向いたとき、大津市膳所に義仲寺を訪ね、念願の芭蕉の墓参りを済ませた。『義仲寺昭和再建史話』という本を著者の谷崎昭男先生が贈ってくださり、この機を逃すわけにはいかないと思ったからだ。

 しつこいようだが、何度もこのブログに書いてきた、

 さまざまなこと思ひだす桜哉

私にとって南イタリアの旅は上の芭蕉の句だったのである。

 

 




 

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