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台峯日乗89

ドイツ

ライプツィヒからチューリヒへ帰る途中、バッハの生まれ故郷アイゼナハを過ぎた頃だろうか、北ヨーロッパの空に表情豊かな雲が広がっていた。

 真夜中過ぎ、星空の向こうに、あの世から更に向こうの世界へ行ってしまうからさよならと、母の声を聴いたというセンチメンタルなアネクドッツ(小話)の背後には恐らく、クレーの絵のことを考えていた事情が作用していただろう。というのも、例えば美学研究者たちはクレーの絵画は現実のなかにある非現実の世界を描いていると主張するが、では現実の世界のなかの非現実とは一体何だろうと腑に落ちないでいたからである。

 耄碌したせいか年齢を重ねたせいか知らないが、最近、私は眼に映る(現実の)風景を見ながら、これはただ網膜に反映された画像であり、それが脳に伝えられた情報であって、実は世界の実在はその向こう側に、目には見えない何処かにあるのではないかとの思いを強く感じていた。ある種の自然のなかでは、それが世界の実在そのものに見えることがある。人間世界の風景は余分なものばかりで出来ているからである。

 私たちの心も、記憶や忘却、(え〜と誰だったっけ『記憶と忘却』を書いたのは、モーリス・ブランショ?一行たりとも理解できなかった青春の読書だったが)愛着や嫌悪、将来(を考えること)などという余分なものだけで出来ている。あたかもそれが現実(重要性)であるかのように思い込んで私たちは翻弄される。

 時間と空間が同質であることを、これも青春の読書だが、マルティン・ブーバーから学んだ。いま、母の声の幻想を思い起こして、世界の向こうにあの世があり、その向こうに別の世界があるという観察は、やはりクレーの絵画から示唆を受けたものであろう。クレーが描いたのは此の世から見えるあの世であり、あの世から見える此の世なのだが、伸縮自在な空間と時間をメソッド(方法)として用いた現代絵画の嚆矢であろう。

 先日「クレーとカンディンスキー展」を観ながら、イメージの、現実から非現実への先駆者であったカンディンスキーがバウハウス期以降「装飾画家」となっていく消息をあらためて知ったが、1929年、休暇先のフランス南西部アンダーユの海岸で撮った二人の記念写真は、二人の芸術家が如何に時代精神を生きていたかの証左であると思えた。いま、そのことの詳細を記す力が私にはないが、真夜中の母の声はそれを云っていたように思う。

アンダーユ



 

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