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台峯日乗86

ヴェネチア

ギュンター・グラスの話を続けよう。

 私が初めて彼を訪ねたのは1975年、西ベルリンのニート通りにあるグラスの居宅だった、展覧会プロデューサーとして独立したばかりだったから、何でもやってみようと思っていた。青春期の読書は一生を決める。グラスの作品を夢中で読んでいた19才の頃、ああ俺はこの人に会うことになるなと夢想した。6年後、実際にグラスを訪ねることになったのは幸運としか云いようがない。

 グラスは59年発表の『ブリキの太鼓』で、小説家として国際的に知られるようになったが、それ以前、戦後すぐにベルリンとデュッセルドルフの美術アカデミー(デュッセルドルフ美術アカデミーはかつてクレーが教授を務めた学校だが)で彫刻を学び美術家を目指した。グラスには多くの版画作品があって、非常にユニークなものだが、その展覧会を日本で開きたいと思い、当時グラスの版画を扱っていたアンゼルム某というベルリンの画廊を探し当て、彼に手紙を書いて是非日本で展覧会を開きたいと申し出たのがきっかけだった。

 ニート通りのグラス家を訪ねた日の感激は忘れない。展覧会は翌76年だったか、77年だったか、会場は渋谷パルコ、グラス夫妻を日本に招いた。まだ羽田空港の時代だ。飛行機代はゲーテ・インスティテュート・トーキョーが負担してくれたが、日本国内の旅行費用は展覧会のマネージメントから捻出したのだったと思う。覚えていない。雑誌『スバル』『世界』『朝日ジャーナル』で特集を組んでいたので数日は東京にいたのだが、それから彼らを連れて四国旅行をした、いや違う、四国旅行をしてから東京に戻り、それから雑誌の取材やら、大江健三郎との対談やら、朝日講堂での講演会やらが開かれたのだった。四国旅行をしたことに特別な意味はなかったのだが、何となく勘で高知へ行った。これが大江健三郎を喜ばせることになる、まあどうでも良い。グラスが日本へ来る前、私は大江の小説の英語訳をグラスに送り、彼はそれを熱心に読んでから日本へ来たので、大江はグラスとの対談でグラスから小説を評価され、その後フランクフルトのブーフメッセでグラスとの対談の機会に恵まれ、やがて大江のノーベル文学賞受賞へと繋がっていく。このことは誰にも話していない。

 ダンツィヒ三部作『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』が私の青春の読書だが、高知桂浜の何とかいう有名な旅館に5泊しながら、毎日、西へ東へとレンタカーでドライブし、海岸へ下りては近所の魚屋で買った食材を焚き火で料理して楽しく過ごした。それが『ブリキの太鼓』の一場面そのものだったと、後日、高本研一先生から指摘され、ああそうだったのだと納得したのだが・・・。

 高本先生は、私が尊敬できる「数少ない」大学教師のお一人で、浦和高校(走り高跳び選手)→東大文科三類→都立大教師の、絵に描いたような秀才でいらっしゃるが、ほんとうに可愛がって戴いた。青春の読書で、高本先生訳のグラスを読んでいなかったら私はまったく別の人生を歩んでいたのだと思う。

 昨日グラスの死を電話で報せてくださった飯吉光夫さんと高本さんと三人で、羽田空港にグラス夫妻を迎えにいった。帰国するときもそうだった。飯吉先生はパウル・ツェランとグラスの詩の翻訳者、お二人にお世話になって私とグラスが繋がったのだった。

 日本旅行に来た頃、グラスは前妻アンナと別れて間もなかったが『ブリキの太鼓』を献呈したアンナ・グラスはバレリーナで、そのためダンツィヒ三部作にはバレエの話がたくさん出て来るのだが、日本に来たときは新しい伴侶ウテを伴っていた。ウテはベルリンの教会のオルガニストで、どのように彼らが出会ったかという話を四国旅行のときに聞いた気がするが内容は忘れてしまった。

 私がグラスとの行き来で最も幸せだったのは、展覧会の翌年だったか、グラスがベルリンを引き払ってドイツ北部の農村に移住し、19世紀に建てられた古い農家を改装したものであったが、その家を訪ね4、5日逗留させてもらったあの時だ、いろいろ思い出はあるが、ちょうど彼は次作『ひらめ』を執筆中で、最上階のアトリエに私を連れて行き、俺はこうやって小説を書いているのだと、彼が言葉を紡ぎ出す現場を見せてくれたことだった。昨日書いたように詳細は拙著に記したので、ジジイのように同じ話題を何度も繰り返して書くのは止めよう、いや、正真正銘のジジイなのだが。グラスの思い出を書いていると止め処ない、20代のことだ。ウテにはお悔やみの手紙を書こうと思う。

 昨年のクリスマス、イヴとクリスマス当日、ヴェネチアにいた。夢のような旅であったが、観光客相手のヴィヴァルディ『四季』を聴きに行った、だが、ヴィヴァルディが生きていた時代、たぶんヴィヴァルディもあのようにして夜毎貴族の家で演奏していたのだろうという気がしてむしろ楽しかった。クワトロ・スタジオーニを身近に感じた瞬間だった。それからアッシジへ行った。ヴェネツイアを発つ朝、船着場で海が綺麗だった(写真)。






 

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