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台峯日乗85

Guenter

ギュンター・グラスが死んだ。

先ほど飯吉光夫さんから電話を戴いた。「おい、グラスが死んだよ」「え、何歳になってましたっけ?」「87歳だったってドイツの新聞で配信された」しばらく話をして電話を切ってから、1分後、NYのマシュー・プライスからメッセージが送られてきて「マコト、もう知っているかも知れないが貴方には悲しいニュースだ、ギュンター・グラスが亡くなった」

 昨年9月、娘とドイツ旅行をした帰りの飛行機からオーロラが見えて、それを掲載したブログを最後に何も書かないでいた。正直云って、もう私には文章を書く意欲が消え失せたせいか、おーいオーロラのピンボケ写真が載ったままだぞー!と友人たちにも云われ、半年以上ブログが書けずにいた。

 私とグラスの出会いと経緯については、20年前の拙著『芸術の非精神的なことについて』に詳述したのでここでは繰り返さないが、飯吉さんが電話で「高本さんも死んでるし、日本でグラスの友人と云えるのは俺とあんたぐらいだからな」と仰っていたが、生意気かも知れないが、私も先月65歳になって立派な初期高齢者なのだから生意気もくそもない年齢で、確かにその通りだ。高本さんとは、グラスの小説をお訳しになった高本研一先生のことで、私の恩師だが、いや高本さんの学生だったのではなく、私の恩師としか云いようのない人である。

 不思議だ、終日、北鎌倉の家に居て、氷河期のような季節外れの寒さを嫌いながら、ふとギュンター・グラスのことを思い出していた。最後に会ったのはちょうど10年前だった。その日リューベックの彼の事務所を訪ね、私を見るなり「なんと俺は77才になってしまった!友よ!」とニコニコ笑いながら久しぶりの再会を歓迎してくれた。クリスマス・マーケットの時期だった。

 日本の新聞にも明日の朝刊には死亡記事が出るかも知れない。が、現在の日本にはグラスの読者などいない。大江健三郎が追悼記事を書くかも知れないが、私は万延元年のフットボール頃までは大江の愛読者だったが「私は戦後民主主義なのでご辞退します」との文化勲章辞退記者会見を知ってから大江は嫌いになったので、それを読むこともあるまい。何とかいう大学教師が岩波からグラスの評伝を出していたがスッカスカで批評する気にもなれなかった。

 グラスは自伝『玉ねぎの皮を剥きながら』を出版する直前、記者会見で「実は私は戦時中ナチスSSのメンバーだった、しかしあの時代、少年たちはみな疑問も抱かずナチスに従属することは自然だった」と吐露して、「私のノーベル文学賞がそれで剥奪されるなら、それでも構わない」とヤンチャな発言をして、世界中のグラス評価を二分させた。あの人ならやりかねないわよと、その頃の私のパートナーがぽつりと云っていたが、そんなことはどうでも良い、グラス文学の価値は今後の歴史が判断することであるし、私には青年期の読書の重要な文学であったから、評価など二の次なのだ。

 ちょっと目が覚めた、これからは余り間を開けずにブログを書くことにしよう。

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