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炎暑

あまりの暑さに耐へかねて銭湯に行った。
暑さに耐へかねて銭湯へ、というのもヘンだが、夕方、近くの風呂屋にふらっと入った。タオル一本あれば足りる。以前は手拭い一本だった。進駐軍の影響でバスタオルなどというものを使うようになったのは最近(昭和30年代)のことで、銭湯は手拭い一本と決まっていた。浴衣掛けで風呂に行き、さっと裸になって湯に浸かる。夏場であれば風呂は10分以内、上がって涼むのに30分を要する。縁側に立って身体を拭き、手拭いを絞る。また汗が出てくる。冷たい水で手拭いを洗い、汗を拭き取る。これを何度か繰りかえしながら、汗がすっかり引くまで涼むのである。近所の爺さんたちがそうするのを見て、子供たちはそれを習得した。爺さんたちは途中、旨そうにタバコを吸ったりしていた。
銭湯にはたいがい、小さな庭のついた縁側があった。蚊が多くて参ったが、それも濡れた手拭いでピシャリと打って払った。湯に浸かるのは一瞬でよく、湯から上がって涼むことに専念する。これが夏場の銭湯の「しきたり」である。こうした生活習慣プログラムの習得、本来これを教養と呼ぶ。
江戸落語は「こんな事をしてはいけない」「こんな事をするのは恥である」ということを周知させるための教科書であった、と我が師・種村季弘がよく言っていた。
埼玉県立近代美術館の初代館長本間先生は、賓客をもてなすのに銭湯に連れていったと聞く。1970年代、東京国際版画ビエンナーレの審査員として来日したドイツの大御所W・シュマーレンバッハ博士も、本間先生に連れられて日本のパブリックバスに行ったことがあると後年ご本人から聞いた。現今、このような発想をお持ちになる美術史家は皆無だろうが、もともと風呂は江戸町民の情報交換の場で、ヨーロッパでいうピアッツァであるから、趣旨は正しい。
ちなみに、暑さに耐へかねて昨日行った近くの銭湯とは「世界湯」。古今亭志ん生が最晩年まで、弟子に抱えられて通ったという由緒ある風呂屋で、湯船の壁の富士山の絵も優れ、人も少なくて心地よかったが、残念ながら脱衣所に縁側はなかった。

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