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  • 2015.12.26 Saturday
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コモ エスタ セニョリータ

Louise

昼酒を飲んだ。

 ジゼル・フロイントが撮影したW.H.オーデンの写真を観て、かつて田村隆一がオーデンの顔に刻まれた皺を賛美して詩に書いているが、上のルイーズ・ブルジョワの写真を観たら、彫刻家の手の皺を賛美して詩を書いたに違いない。生誕100年を記念してバーゼルでブルジョワの展覧会が開かれていることは、先月ブログに載せたばかりだ。ブルジョワのようにインソムニアに陥る私は、彼女が不眠症で眠れなかった夜、せっせとスケッチブックに向かって描いたドローイングを時おり眺めている。

 何年も前、といってかなり前、六本木ヒルズにある彼女の巨大な「蜘蛛」を初めて見たとき私にはあまりピンとこなかった。それからソウルの美術館「リーウム」で彼女の作品1点を観る機会があった。さらにDIAビーコンのブルジョワ展示室を観て、やっと点と点が繋がりはじめ、グッゲンハイム美術館のブルジョワ回顧展に行き会うのだが、これは逆効果でかえってブルジョワを私から遠ざける結果になった。

 何故ブルジョワを遠ざけることになったかと云うと、同展の展示がイヤらしく感じられたからだ。グッゲンハイムは時々それをやる。「ピカソ 鉄の時代」「カルダー展」もそうだった。必要以上に似通った作品が多すぎた。これでもか、これでもかは良いが、恐らく義理で展示しなければならない作品なのだろうと私は見た。つまりファンド・レイジングに関係する、美術館支援者が持っている作品は何が何でも展示しなければならない事情があって、やむなくきっとそうしたのだろうと思った。展示コンセプトを見れば、私は展覧会の背後に隠されたストーリーを詮索したくなる。キュレイターの仕事はまことにむずかしい。

 それでブルジョワだが、リーウムの作品もDIAビーコンの作品群もしばらく心に残った。イヤらしく感じられはしたが、グッゲンハイムの回顧展はむろん面白くもあった。これまで彼女が取り組んできた制作を時系列として観ることができたからだ。そして再びリーウムへ行ったとき、あの夕闇せまるソウルの空に「蜘蛛」が二匹、いや二体というべきか、これはブログにもアップしたが、美術館前庭に立っているのを観て、ブルジョワへのシンパシーが急に沸き上がった。悲しい時空であったからだ。

 そして先月、バーゼルで観たブルジョワ展だ。こうして本気で私はブルジョワにのめり込んできた。のめり込んで来たのは「時間のイメージ」と呼べるような心のメカニズムに捕らわれたからだ。時間のイメージとは、物理的に動く絶対的な時間(いまもこうして過ぎている)とは別に、伸縮自在の、順列無視の「時間」が手を伸ばせば届く所にあることを知ったということ。ふつう、イメージとは視覚的感覚のヴォキャブラリーなのだが、どうもそれだけではないらしい、しばらく前、私はブログに「ピアノ音楽は時間の彫刻である」と書いた。それに関連する。うまく言えないが、時間を時間の概念で捉えずにイメージ(立体的な画像)で捉えることができるのではないか。

 私がブルジョワにのめり込んだ経緯も、六本木ヒルズから始まって先月のバーゼルまで、おそらく10年以上経過した時間のなかで点と点が繋がり、単に記憶というのでなく、時間のイメージが交錯して全体像を形作ってきたのではないか、それが突然やってきた。クレーがたびたび訪れていたシチリア島を訪ねて、クレーがそこで何を観、何を感じていたのかを考えながら、彼の作品に現れたシチリアの直接的な影響(記憶)と古代ギリシャへと飛んで行くクレーの自由で我が侭な時間観念、そこにどうやら私の「時間イメージ」のイメージがあるらしい。

 冒頭に書いた昼酒というのはほかでもない、昨日の昼下がり、

と、ここまで書いてから慌てて家を出て「ウィリアム・フォーサイスと土方巽:身体のイラストレーション」というイベントに行った。日英同時通訳付きというので、友人のディーンを誘っていた。彼と会うのは3年振りだ。ディーンは早稲田、東大、東京外語大で主に哲学を教えている講師で、ロンドン大学院では「暗黒舞踏」を博士論文テーマに選んだのだから(来年辺りには書き上げると言っていた)、土方巽にもフォーサイスにも興味はある。午後2時から5時まで、途中10分間の休憩を挟んだ、冗長で、半分は面白く残り半分は退屈な、プレゼンテーションとシンポジウムの会だった。舞踏だから当然といえば当然だが、時間の概念についての話が出てきた。「カタルシスとは時間を止めること」というどなたかの発言も面白かった。会が終わってディーンと雑談をし、実はさっきブログを書きながら時間の概念について考えていて、「時間イメージ」(Time-Image)という語を思いついたんだけど英語でそう表現するのは間違いじゃない?と聞いたら、もちろんその概念はありますよ、ミスター・シンドウ、と彼が言うので、そうか、間違いじゃないな、よし、もう少し突き詰めて考えることにしようと覚悟を決めた。

 で、昼酒だが、昨日、赤坂・砂場へ行った。公園のお砂場ではない、砂場という老舗の蕎麦屋だ。「蕎麦屋ってえのは、午後2時頃から行って、玉子焼きかなんかでちょびちょび酒を飲む爺さんがいたりするのが一番いい風景なんだよ」と、少年の頃聞かされて以来、いつかそのようなジジイを演じてみようと半世紀思い続けてきたが、還暦を過ぎて、頭の天辺が禿げてきた私にもようやく資格ができたという訳で、昨日、それをやることにした。その前日我が家に来た客人が大事な書類を忘れて帰り、届けましょうかと電話をしたら、あした赤坂の砂場で人に会うので、ご迷惑でなければ砂場に届けておいて戴ければ助かりますとのことで、じゃあいっそのこと久しぶりに砂場で蕎麦でも食べようと出掛けて行ったのである。

 教えのとおり玉子焼きを取り、板わさを取り、浅蜊の煮物を肴に熱燗を飲った。たいがいは蕎麦一杯ひっかけて足早に店を出るお客を眺めながら、こちらはのんびりと昼酒を楽しんだ。天ぷらソバで仕上げてから、ほろっと外へ出ると小春日和の風が頬に心地良い。赤坂通りを乃木坂に向かい、赤坂小学校を左に折れて東京ミッドタウン裏手の公園を抜けると、週末とあって子供連れが芝生で遊び回っていた。ふとミッドタウン向かいのビルを見たら、2階に「ジェントルメンズ・クラブ ライブヌード」の看板があり、ありゃ、まだこんな店があったのだと時代錯誤を可笑しく思い、途端にロス・インディオス&シルヴィアの名曲『コモ・エスタ赤坂』が頭の中で回りはじめた。

 ♪コモ エスタ セニョ〜ル、コモ エスタ セニョリ〜タ
   酔い〜しれ〜ぇてみたいのよ、赤坂の夜♪

これもある種の時間イメージなのである。



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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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