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麻布の夕暮れ

四月は最も残酷な月だ
死んだ土地からライラックを育て
記憶と欲望を混ぜあわせて
鈍重な根にも春の雨を降らせる

April is the cruelest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.

T.S.エリオット『荒地』の第1章「死者を葬る」の冒頭。20歳の頃「死者を葬る」全文を暗誦した。今はもう最初の4行しか覚えていない。それで十分だ。

『荒地』は1922年に発表された400行を越える長編詩で、第1章だけでも90行ほどあった。ほんとうは全文を暗誦すべきだったが「死者を葬る」だけで止めてしまった。この冒頭の4行のすぐ後に「シュタルンベルガー湖」という固有名詞が出てくる。ずっと後年になって、クレーと関わるようになってからシュタルンベルガー湖が何処にあるかを知った。

 T.S.エリオットを知ったのは田村隆一を読むようになってからで、それにW.H.オーデンも、モダニズムつまり近代主義の詩に引きつけられた。田村らが属した戦後詩のグループ「荒地」も、もちろんT.S.エリオットの詩からとられた名である。

 青戸中学校で使っていた英語の教科書は「Jack and Betty」という下品な緑色の表紙の代物であったが、同じ葛飾区内のもっと勉強の出来る中学では上品な白い表紙の「New Prince Readers」を使っていた。「Jack and Betty」の冒頭に「Spring has come. Winter is gone.」の一行があった。上記T.S.エリオットの詩の冒頭そのままではないか。

 いや待てよ、下品な表紙の「Jack and Betty」の冒頭に、そんな上品なフレーズが書かれている訳はない。最初は「I am a boy」とか「This is a pen」(ドリフターズの荒井注を思い出すが)とか、そんな無意味な英語であったに違いない。余談だが、ここに日本の外国語教育の決定的な、致命的な誤りがある!言語とは文脈であって単語ではない。あまりにも痴呆的誤解(無知)なのだが、ことは外国語教育の問題だけに留まらない。日本語もまた然り。この話を始めると私の怒りは収まらなくなり、頭から湯気を出して興奮し、何故わたしがパナソニック美術館のプロジェクトから降りてしまったのかまで、論理的に述べることになるので中断する。(余談ついでにもうひとつ。青戸中学で英語を習った原信夫先生が、実は新日本文学の作家野呂重雄であったことも後年知ることになる)

 授業を続けよう。

Spring has come.
Winter is gone.

 少なくとも昭和38年に青戸中学で使われていた1年生英語教科書Jack and Bettyに出てくる上のフレーズが、T.S.エリオットの詩『荒地』第1章「死者を葬る」(The Burial of the Dead 「死者の埋葬」と訳すべきか)の最初の4行そのままだという私の主張は、ことさらに説明する必要はないだろう。「Spring」が現在完了形で「come」なのだから、ことばの意味は「春が来た」で、それがどうした? Then, what? に答えているのが「April is the cruelest month, breeding」以下のT.S.エリオットの詩句ではないのか。

 「それがどうした?」は、日本語でも外国語でもよく使われるフレーズだ。一見、相手を揶揄するようなニュアンスとして受け取られているが、「Then, what?」は重要な設問である。寸劇風にやると以下のようになる。

エリオット氏:Spring has come.
新藤氏:Oh, Yes. Then what?
エリオット氏:April is the cruelest month. It breeds lilacs out of the dead land and mixes memory and desire, then it stirs dull roots with spring rain.
新藤氏:Why do you think so? It's beautiful to have lilacs out of the land, isn't it?

と、私は継ぐであろう。エリオット氏のことばは彼の思想なのだと知れば、それから私は彼の思想に耳を傾ける。このメカニズムを文脈と呼ぶ。教科書のもう1行「Winter is gone」が、この詩の題名「The Burial of the Dead」の同義語となる。

 青戸中学のむかしの教科書にさえ(失礼ながら)、20世紀の最も重要な詩のひとつに通底する文脈が隠されていたというのに、何故、時代は子供たちにそれを教えようとしなかったのか、それが私の怒りの原因だ。

洗足池 4月10日、奈良二月堂に遊んだことは前回の記事のとおりだが、ちょうどその一週間前の4月3日、例のみかりんが花見の会に誘ってくれた。連歌仲間井上一舟(写真中央)の夫人みかりん(最近彼女も連歌に加わり、事もあろうに松尾実芭蕉−まつお・ばなな−と名乗っているらしい)は、数日前から徹夜の支度をして、まるで井上家のダイニングルームがそのまま引っ越してきた如きご馳走を、洗足池の畔に設えた座敷に並べたて、周囲の驚愕をものともせず、朝10時から日暮れまで、飲みに飲み、食いに食う一日を過ごした。凄まじかった。

洗足池 が、いつものことながら彼女の心遣いで、その日参加した大勢の方から私の還暦祝いにと、赤い帽子や靴下、唐辛子、バカラのグラスなど、たくさんのプレゼントを頂戴した。感謝。晩年の勝海舟が暮らしたという洗足池の畔は、終日花曇りで、ときおり雲間から漏れる光が夕方になると水に映って美しかった。


日暮れて、帰途、驟雨に遭いずぶ濡れになった。

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  • 2015.12.26 Saturday
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コメント
新藤さん今日は。私は墨田川高校の後輩です。このブログを見つけてから、会社で仕事中に一息入れたい時など、時々拝見しています。今日はは自宅で書いていますが。見知らぬ人のブログでも、面白かったり勉強になるものを見つけるとお気に入りに入れて時々読んだりしますが、新藤さんのものほど、内容が濃くて深くて面白くて勉強になるものを他に知りません。お気に入りの書物をひもとくように、いつも拝読しています。バウハウス展のことは残念でしたね。芸術家の感性とビジネスマンの合理性と、矛盾するような要素を発揮しなければならないお仕事のような気がするので大変ですね。よく知らないのに生意気ですが。
  • M. Tsuruoka
  • 2010/05/16 4:32 PM
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