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矢野健太郎先生の思ひ出

 日曜日、仙台に日帰りした。

 展覧会に借りていたクレー作品2点を、宮城県美術館にお返しに上がった。折から仙台市内では、全国大学女子駅伝を開催中で、市内の道路が規制され、なかなか美術館に近づけないという予期せぬ出来事に遭遇したが、無事、作品はお返しした。

 上野の地下駅から東北新幹線に乗って、日暮里のあたりで地上に出てしばらく行くと、山手線と京浜東北線が分かれるところがある。三角形の台地で、家がびっしりと建て混んでいる。たしかその辺りに矢野健太郎先生が住んでおられた。

 矢野健太郎といっても、若い世代の人には馴染みがないかも知れない。『代数入門』、これが名著であった。岩波新書(?)に入っていたはずだ。中学生になった頃、つまり算数から数学に変わるとき、この本で勉強した。学校でではない、放課後、近所の中学生を集めて私塾(無料)を開いていたKさんが私たちに数学を教えるのに、これを愛用した。

 息子が中学生になったとき、私はそれを思い出して『代数入門』を探してみたが、とっくの昔に絶版になっていて、当時、東大の国文学にいたジャイコ(むろんニックネームだ)に頼んで、大学図書館でまるごとコピーを取ってもらった。息子が活用したかどうか、よく覚えていない。

 中里の矢野健太郎先生の家をお訪ねしたのは、1975年頃だったと思う。私は妙に興奮した。中学のとき『代数入門』に出会って以来、その本の著者に会えるなどとは考えもしなかったせいだろう。展覧会プロデューサの駆け出しだったが、日本で最初のM・C・エッシャー展を開いた時のことだった。展覧会図録にご執筆いただきたと矢野先生にお願いにあがったのだ。位相幾何学のことをあれこれと話して戴いたことを覚えている。

 名門・都立墨田川高校で使っていた教科書も著者のお一人が矢野先生だった。墨田川高校の数学教師M氏も矢野先生門下であった。ただしM先生は授業中、俳句などは575、17文字の順列組み合わせで総ての俳句が出来てしまい、従って文学などというものは有限であり、数学は無限だなどと、たしかに事実だが、実にトンチンカンなことを真顔で言っているような滑稽な人物だった。

 『代数入門』の思い出や母校の数学教師M先生の話題などもして小一時間、私は矢野先生と時間を過ごした。後日、原稿を戴きにも行った。つまり二度、先生のお宅にお邪魔したのだった。東北新幹線の窓から、ふと中里の家並みを眺めたとき、その思い出がよみがえった。

 矢野健太郎先生はたしかヴァイオリンを弾いておられた。日本のロケットの父・糸川英夫博士はチェロを弾いておられたのではなかったか。外国に旅行されるときは飛行機の座席を二席買って、一席はチェロを置いたという話を何度か聞いている。

 右脳と左脳なのである。私の勝手な想像のなかでは、数学者・矢野健太郎先生がヴァイオリンを弾いておられたのは、趣味というより、弦楽器の数学的なシステム(弦の長さがピッチを決めるのだから)を通じて、右脳を働かせることに情熱を感じておられたのではないかと思えるのである。

 『ピアノ・ノート』(チャールズ・ローゼン著、みすず書房)が実に面白い。私にとって、音楽の『代数入門』だ。

 

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コメント
矢野健太郎先生の「代数入門」は岩波全書に入っていました。いまは出ていないのだとは思います。これを名著と思ったことはなかったですが、どういうところがよかったでしょうか。私も矢野姓ですが、親戚ではまったくありません。

  • 矢野 忠
  • 2010/10/15 1:43 PM
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