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  • 2015.12.26 Saturday
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ヴォルプスヴェーデふたたび ふたたび

Hamburg Hbf

東京はすっかり涼しくなった。

 以前にもドイツの鉄道駅の写真を載せたことがある。これは9月14日のハンブルグ駅。今年の夏まで使っていた中古コンピュータのデスクトップで、DB(ドイツ鉄道)の列車ラインナップが行ったル来たりするアニメーションが動いていた。売り物とは知らず、むかしキュレイター林がミュンヘン駅のラックから持ってきたCDに入っていたプログラムだ。毎日見ていたので、列車の大半を覚えてしまい、外国の駅に来た感じがしない。ドイツのなかでもハンブルグ中央駅は、私の記憶のもっとも古い場所のひとつだ。

 9月17日の当欄に「ヴォルプスヴェーデふたたび」を書き、現地のホテルで書いたので気分が高揚して、私とヴォルプスヴェーデとの関わりは拙著に詳しく記したのでここでは書かないなどと、いささか横柄なものの言い様だったが、それからまた幾つか思い出したこともあり、構えずに、経緯を話しておきたい。

 私は二十歳のとき銀座の画廊に勤めた。クラウス・ヴィレというドイツ人がときどき画廊に現れた。以前、広島大学で教えていた彼はそのころ学習院大学に移っていた。専門は不明だったが、ドクター論文でデューラーの「メランコリア鵯(アインス)の鵯について」を書いたと言っていたからドイツ・ルネサンスだったのだろう。

 私の最初のパスポートを見ると、1972年9月28日の日付で出国印が押されている。(余談だが、私は今でも出国を「しゅつごく」と読んで高橋文子さんにいつも笑われる。余談ついでに、この旅券の渡航地域は北朝鮮、中国、北ベトナム、東ドイツを除くとの記載がある)初めてのヨーロッパだった。もしドイツに行くなら、ブレーメン近郊にヴォルプスヴェーデという村があるから是非訪ねてみたらいいと、ヴィレ先生が教えてくれた。彼の知人でクラウス・ピンクスという人が村に画廊を開いているので、そこを訪ねてごらんなさいと。

 この最初の旅行は画廊のご主人のお伴だったから自力ではない。翌年から自力で行った。ヴォルプスヴェーデという風変わりな名はリルケの著作でよく知っていた。ヴォルプスヴェーデ派の画家たちを論じた風景画論だから、周辺の風景まで図版でよく承知していた。いざ行ってみると、リルケの時代から70年が経ってはいたが、北ドイツの湿地帯の様子は当時のままに思えた。

 それから私のヴォルプスヴェーデ詣でがはじまった。クラウス・ピンクスと夫人のロッテ・ツェトーは村の中央部で「インゼル(島)」という画廊を経営していた。私はブレーメンからバスに乗って、いつもインゼル停留所で降りるのだった。インゼルにはいつも人が集まっていた。ことのほか私を気に入ってくれたクラウスは、その時代遅れとも思えたサロンで、多くの人に私を引き合わせてくれた。そのなかの一人がマルティン・カウシェだった。

 カウシェは、1900年頃から自然発生的に芸術家コロニーとなっていた村の伝統を護るべく、装丁家の仕事を引退した後、村はずれに「アトリエハウス」を建てて、内外の芸術家に半年単位で住居を提供する活動に専念していた。私はこの村に住みたくなり、私自身芸術家ではないが、クラウスやロッテが強く薦めてくれたこともあって、特別に許可を得た。それもこちらの都合で1977年と1979年の夏、三ヶ月づつ滞在できるよう計らってくれた。

 クラウス・ピンクスとロッテは、私の最初の滞在の頃にはすでにヴォルプスヴェーデにはいなかった。湿気の多い冬の気候を嫌って、南ドイツ、フライブルク近郊シュタウフェンに移住してしまっていた。その地でクラウスは1980年頃亡くなり、数年後ロッテも世を去った。それまでに私は何度かシュタウフェンを訪ねた。一度はクラウスの死の半年前、ロッテが一人になってからは二度。そしてロッテが亡くなった直後に二人の墓参りに行った。(それから長いあいだ、フライブルク近くを列車で通過するたびに、また墓参をしなければならないと車窓から撮ったシュタウフェン城のピンぼけ写真をブログに載せたのは、昨年のことではなかったか)

 その後ロッテは遂に、生まれ故郷ヴォルプスヴェーデの土を踏まないままだった。彼女から聞いた話の中でいま一番印象深く思い出すのは、彼女がまだ若かった頃、彫刻家クララ・リルケのアトリエをたびたび訪ねたという話題だ。(9月17日の記事に書いたように、リルケは当地でクララと結婚した)年老いたクララは、アトリエに並べた作品を見せながら、その頃のヴォルプスヴェーデ派の画家たちの話を、とりわけ彼女より2歳年下で若くして亡くなったパウラ・モーダーゾーン・ベッカーの思い出をとぎれとぎれに話してくれたという。私は生まれてくるのが遅すぎた!ロッテのお伴をしてクララ・リルケを訪ね、結婚後まもなく別居してはいるが、夫君ライナー・マリーア・リルケのことやクララの師匠オーギュスト・ロダン、そして31歳で世を去ったドイツ表現派の先駆者(とも見なされる)パウラ・ベッカーのことを直接彼女から聞きたかった。

 ロッテには二人の娘がいる。クラウスの子ではなく前夫の子供だが、姉のバーバラと妹ザビーネ。二人ともミュンヘンとその近郊に暮らしていた。バーバラの旦那様はドイツでは高名な料理評論家のヴォルフラム・ジーベックで、80年代初めころだったか、有力誌『シュピーゲル』が日本特集を組んだとき、来日した彼(バーバラも一緒だった)を連れて私は浅草の「福ちゃん」だの「駒形どぜう」だのと、庶民的なレストランを案内して回ったが、後日、彼が書いた記事のタイトルは「Soja, Soja ueber Alles」(何でもかんでも醤油掛け)という代物でおやまあと思ったものだ。ついでに言うと、これは"Deutschland, Deutschland ueber Alles !"(世界に冠たるドイツ!)のパロディなのだが。

 妹のザビーネともよく行き来をした。夫君オービーはスイス出身のデザイナーで、いつぞや、ヴォルプスヴェーデでザビーネたちと一緒になり、ミュンヘンに帰る車に同乗させてもらったことがある。7時間のドライブだった。翌日、彼らのアパートを訪ねた。昨日車の中で眠りこけていた一人娘のユーリアが、元気いっぱい幼稚園から帰ってきたところだった。ユーリアも今では30歳を過ぎているだろう。

 話はこれからだ。

 昨年のことだった。おい、お前を捜している人がいるから下記の住所に手紙を送ってくれと、アリョーシャ・クレーからメールが届いた。誰あろう、私を捜しているのはバーバラと夫君のヴォルフラム・ジーベックだった。何故またアリョーシャからそんな報せが届いたのか、聞けば数年前アリョーシャが何処かで彼らと知り合い、話しているうちに、むかしよくヴォルプスヴェーデに来ていた「あの青年」が私だと分かって驚いたらしい。サッチ・ア・スモール・ワールド!なのである。

 今年5月、ミュンヘンの「ブラントホルスト美術館」開会式に出掛けた帰りだった。キュレイター林はミュンヘンから一足先に日本へ戻ったが、私は幾つかの用事を済ませるためドイツに残った。そして一日だけ工面してバーバラたちを訪ねた。

 たしかにロッテが亡くなる前、彼女は、バーバラたちがミュンヘンを離れて今はここに居るから機会があったら訪ねてと、私に新しい住所を書いてくれたことは覚えている。だがそれから20年以上、いつしか住所を書いたメモは私の周辺には見えなくなり、またそれを探すことすら忘れていた。バーバラたちが住んでいたのは、クラウスの死後、老齢の母親を慮ってか、実はフライブルクからさほど遠くはない小さな村であった。たびたびバーバラは母親を訪ねていたのだ。そのために近くに住居を移していたのだった。私はその日、小さな鉄道駅に降り立った。バーバラが、むかしと同じ笑顔で私を迎えて強く抱きしめてくれた。それから彼らの住まいへ行った。といっても小高い丘の上にある古い城の一角で、テラスから遠くフランス国境線のあたりまで遙かに平野を見下ろす素晴らしい眺めの屋敷だった。

 ヴォルフラム・ジーベックは80歳になっていた。「駒形どぜう」で、慣れない江戸の醤油味に首を傾げていたのは確かに随分むかしのことだ。「ツァイト・マガジン」が彼の80歳記念号を出していて一冊頂戴した。ここには客室がないので、今夜は美味しい田舎料理の店で食事をして、あなたはそこに泊まればいいわとバーバラに言われ、20分ほど離れた旅籠に案内された。食事をしながら昔話になった。いまザビーネとオービーはヴォルプスヴェーデに住んでいるのよ、とバーバラが言った。あなた、あれからヴォルプスヴェーデに行った?と聞かれた。10年ほど前に、ほんの数時間、マルティン・カウシェに会いに行ってそれきりだと答えた。

 美味しい食事だった。翌朝、宿代を払おうとするとすでにバーバラたちが払ってくれていたことを知った。私はさして大きくもない荷物をガラガラと曳いて近くの鉄道駅まで歩いた。そして次にドイツに来る機会には、必ずヴォルプスヴェーデを訪ねようと思ったのだった。

 7月から8月にかけて南仏への取材旅行があった。それから東京に帰って、8月末、ヴォルプスヴェーデのザビーネに手紙を書いた。私の予定は、9月8日に日本を発って、バウハウスの用事を済ませ、14日から17日までの何処かで彼の地を訪ねるというものだった。しかし残念なことに、その時期ザビーネとオービーはスイスに旅行中でヴォルプスヴェーデには居ないという。仕方ない、またの機会もあるだろうから貴方がたに会うのは次回だと彼らに伝えた。

 そうして私は、先々週の火曜日と水曜日、ヴォルプスヴェーデに二日間を過ごしたのだった。9月17日の記事のとおりだ。私が泊まった宿はザビーネに紹介された彼らの家のすぐ近くだった。ザビーネの生家、つまりロッテが最初の結婚で娘たちと住んでいた家の近くでもあるらしい。宿はブッヘンホーフといい、ヴォルプスヴェーデ派の画家の一人ハンス・アム・エンデの家を改装したものだった。隣にはハインリヒ・フォーゲラーの家バルケンホーフ、夢のような場所だ。宿の女主人としばらく話し込んだ。彼女も当地の人だからロッテと二人の娘のことは良く知っている。まあそんな事情ならまた近いうちにお見えになるのね、ザビーネさんがいらっしゃる時に、と嬉しそうだった。11月から3月まではオフシーズンで客も少なく、その時期に3泊以上すれば宿代が一泊44ユーロ(約6000円・シングル朝食付)になるという。東横インより安いじゃないか。

 二人の女性芸術家、クララ・リルケ・ヴェストホフ(彫刻)とパウラ・モーダーゾーン・ベッカー(絵画)の物語は余りよく覚えていないが、二人は親しかった。クララにはパウラの胸像彫刻があり、パウラはクララの肖像画を描いている。ロッテが隣村フィッシャーフーデに晩年のクララを訪ねたとき、パウラ・ベッカー胸像の原型が、まだアトリエの隅に置かれていたのではないだろうか。31歳の若さでこの世を去ったパウラの展覧会が、数年前、日本でも開かれた。どこかの会場での閉館時間、無理を言って私は駆け足で会場を観た。本展制作者の水沢勉さん(神奈川県立近代美術館)に何度も熱心に勧められておきながら、ゆっくりと観られなかったことを今でも後ろめたく思っている。フォーゲラーの展覧会も東京駅ステーション・ギャラリーで開かれているはずだ。それは観ていない。

 久しぶりにヴォルプスヴェーデ派の作品をたくさん観た。だが何より、必ずもう一度来ようと思ったのは、パウラが息を引き取った家の内部だった。同じくヴォルプスヴェーデ派の画家であったオットー・モーダーゾーンと結婚した後、彼女はたびたびパリに遊学し、後期印象派の影響を強く受けた。裸婦自画像などもある特異な資質は、当時の(まだ歴史に現れたばかりの)女性画家では抜きん出ている。ジャン・フランソワ・ミレーに倣って農民や子供、そしてヴォルプスヴェーデの風景を描いた。パリから戻り、やっと夫のもとに帰った二人に念願の子供が生まれる。だが2週間後、彼女は塞栓症で急死、生まれてきた娘ティリーの顔を、ほんのわずかのあいだ見たきりであった。パウラが描いた絵のなかで私は子供の絵がいちばん好きだ。

腕を組む少女(小)2

 私がヴォルプスヴェーデに滞在したのは、上述のように1977年と79年の二度だったが、その翌年だったか翌々年だったか、かつての我が師(と呼ばせていただくなら)種村季弘が同じくアトリエハウスに半年間住んだ。彼は帰国後『ヴォルプスヴェーデふたたび』(筑摩書房)を上梓した。ヴォルプスヴェーデ物語は本書に詳しく書かれている。

 あのころ、種さん(と我々は生意気にもお呼びした)とハンブルクへ何度か出掛けた。駅前の安宿に逗留して、場末の酒場で覚えたてのワインを飲み、私はクワクワになって部屋に戻り、お互いの大鼾に耳をふさいで眠った。上の、ハンブルグ駅の写真を撮った後、あのとき定宿にしていた"Hotel Popp"が、まだ中央駅の前に構えているのを見て私は驚いた。外壁は綺麗にペンキが塗られていたが、あまりに懐かしくて建物の中に入り、料金表をもらったら48ユーロとかで、部屋はおそらく当時のままだろうと想像したものだった。

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コメント
2011年に貴ブログを見て、ヴォルップスヴェーデに行ってみようかと、このコラムからメールして、お尋ねした気がいたします。
その後、論文を書いておりまして、比較論にまではなりませんが「芸術家共同体」について博論をまとめるところまでたどり着きました。かつての御親切なメールに、行ってみようとの計画に弾みがつきました。改めてのお礼まで。
  • 海津にいな
  • 2017/11/09 5:46 PM
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