
それで、カルタジオーネのホテルの窓から眺めた早朝のエトナ山が、クレーの作品「パルナッソス山へ」を想起させずにはおけない話題はともかくとして、夕闇迫るアグリジェントの神殿群を見学してのち、翌日、私たちは最後の訪問地タオルミーナに向かった。
本来なら、タオルミーナのギリシャ(ローマ?)劇場跡から望むエトナ山が、世界中から観光客を集める呼び物の光景なのだが、私たちが訪れたその日、連日の晴天がにわかに崩れて、分厚い雲に覆われたエトナ山はとうとう姿を現さなかった。ここから見えるエトナ山はどうであったか、パルナッソス山との関連がもうひとつはっきりしたかも知れない。
賑やかなタオルミーナの通りを一人で歩いている年若い女性を見つけ、日本人だと思ったのだろう、お仲間の誰かが「こんにちは」と声を掛けた。そういえばミラノに行くまで日本人観光客はほとんど見かけることがなかった。声を掛けられた美女は「コンニチワ」と覚束ない日本語で応えてきたが、韓国から来たのだという。カムサハムニダ。珍しく一人旅だそうで、留学でもしていたのであろう流暢な英語だった。「あら、新藤さん、相手が美人だからずっと話し続けてるわ」と背後から声が聞こえた。次の角で彼女と我々の行く手は分かれた。さよなら、お元気で。お仲間はまるで2、3日一緒に旅行をしてきたかのようにとても丁寧な別れの挨拶をした。
和田定男先生はしかし、クレーのシチリア旅行ではシラクーサが一番重要な場所であったと指摘なさっている。たしかにクレーは1924年の休暇旅行の際に、タオルミーナに2週間滞在した後シラクーサとジェッラを訪ねており、28年暮れから29年1月に掛けてのエジプト旅行の帰途シラクーサにも立ち寄り、1931年のシチリア旅行ではシラクーサからラグーザ、アグリジェントを経てパレルモに向かう旅程を組んでいた。
シラクーサも美しい町であった。残念ながらここのホテルも駄目なところで、うすら汚い市街地の只中にあった。夜、私たちはタクシーで旧市街オルティージャ島まで行き、ふらふらとレストランを探した。鼻をくんくんさせながら町を徘徊すると、大概の場合、私はそれなりに格好のレストランを探し当てるのだが、何と言っても今回の失敗は、ミシュラン・イタリアを早々に買っておきながら旅行に持って出るのを忘れたことだった。
それでもアルキメデス広場の近隣に、何となくイイカンジの店を見つけ、入ってみるとシラクーサでは出色のミシュラン二つ★★「ドン・カミーロ」であった。普段の行いが良いからだ。翌日は同じくアルキメデス広場に面したレストラン「800」が昼食にセットされていたので(言っておくがこのレストランは最悪、旅行会社が組み入れたが、店のオヤジから袖の下を受けとっているに違いない)、バスの運転手に頼んで朝早くオルティージャ島まで送ってもらい、午後はここでピックアップしてもらうことにした。
シラクーサの美術館は一部改装中、お目当てのカラヴァッジオ「聖ルチアの埋葬」が一時セント・ルチア教会に避難中と聞いた。行ってみると祭壇にその絵が掛かっていた。教会だから入場料は不要、但し美術館のように間近からは観られない。2ユーロでパンフレットを買った。それから州立美術館(なんとも地味な施設で、収蔵品は素晴らしいが、ショップも無く、受付のおじさん達が居眠りをしている)へ行き、もうひとつのお目当てルネサンスの画家アントネッロ・ダ・メッシーナ描くところの名品「アヌンチアツィオーネ」即ち受胎告知を観にいった。(上の写真ではない、上はミラノ・ブレッラ美術館での隠し撮り、ダ・メッシーナの展示室には恐いオジサンがずっと見張っているので隠し撮りは無理)
シチリアからミラノへ移動する朝はもの凄い嵐になった。タオルミーナからカターニア空港まで40キロの道を、前の車がぜんぜん見えないほどの土砂降りのなかをバスは飛ばした。出発は朝の4時半。これも凄い。ミラノで半日を取って、それからバスでベルンまで行くのだから朝一番の飛行機に乗るしかなかった。
そう、ミラノでは、クレーがいたく感激したと日記に書いているマンテーニャの「死せるキリスト」を観に、まずはブレッラ美術館に行った。ここにはラファエッロとカラバッジオの名品も。それから名高いカフェ・ヴェルディで昼食、スカラ座の前を通りすぎて、女性群にはしばしショッピング・タイムを。

ミラノに初めて来たのは1973年頃のことだった。ドゥオーモが見えるガレリア入口付近のカフェに座って、煙草をくゆらせながら私は思い出した。あの最初のミラノで、私は目も眩むばかりの革のコートを買ったのだった。当時勤めていた銀座の画廊の給料は4万2千円(それでも新卒初任給よりずっと良かった)コートは85万リラ、給料の約2倍だった。ボロボロになるまで着て誰かに譲ったのだと思う。

しばらく時間があるので、私もショッピングに出た。シチリアで余りにも日差しが強かったので、私はシラクーサで恥ずかしくなるような真っ白いストローハット(8ユーロ)を買って被っていたのだが、これからスイスに入って天候は下り坂、そしてなによりも寒い、で、思い立って懐かしい帽子店「ボルサリーノ」を覗いた。私の世代ならアラン・ドロンの映画『ボルサリーノ』は知っている。似合いもしないが黒のフェルト帽(178ユーロ)を買った。それからふらふらドゥオーモの方に戻った。

と、ふとガレリアの中央角に「サヴィーニ」があった。まだここにあったのか・・・、ミラノでは「クラッコ」「イル・テアートロ」と並んでミシュラン4つ星のレストラン、「サヴィーニ」には甘い思い出がある。1985年の秋だった。汽車の待ち合わせ時間、ここでゆったり食事をしてから彼女とヴェニスに向かったのだった・・・。え、誰?その人?まあいいじゃないか、ちかぢか小説に書く。
ミラノを出て、豊かな食材地帯ロンバルディアの畑を車窓に眺めながら、やがてコモ湖を見下ろし、国境を越えてルガーノ湖を縫うようにバスが走る。
ごらん、あれが竜飛岬、北のはずれと〜、見知らぬ人が指をさす
昭和52年阿久悠作詞、三木たかし作曲、石川さゆりのヒット曲「津軽海峡・冬景色」がとつぜん頭の中で回り出した。と云うのも、むかしミラノから汽車でスイスに向かうとき、ルガーノ湖畔を走る列車の中で、向かい合わせの席に座った老婦人が、湖の遥か向こうに見える雪山を指さして「あれがモンテ・ローザよ」と私に教えてくれたことを思い出したからだ。ミラノの甘い思い出より以前のことだったと思う。
♪ごらん、あれがモンテ・ローザ、薔薇の山よと、見知らぬ人が指をさす♪、と、石川さゆりのメロディーに乗せて歌ってみれば、私の心情は良く理解されよう。あらゆる芸術は常に音楽の状態にあこがれる。である。
ベルンでは、むろんクレー・センターを訪れ、クレーがシチリア旅行に取材した作品数点を、普段は入れない修復室に並べてもらって皆で鑑賞した。私はいい加減な解説をした。その日は日曜日で、キュレイターたちは休みだったが、特別に頼んでファビエンヌ・エッゲルホーファーに出勤してもらったのだった。ファビエンヌはクレー・センターで最も年少の、しかし優秀な研究員だが、わざわざ日曜日に出てきてもらってありがとうと言うと、でも午前中にドクター論文を書き上げたの!と休日出勤を厭わしく思っている様子はなかった。へえ〜、ドクター論文を書き上げたって?凄いじゃん、で、テーマは?バウハウスに於ける教育と成果について。そうか、その話は前にも聞いたことがあったね、それを書いたんだね、ま、ともかくおめでとう、でも君の年齢でドクター論文は例外的に早いね!
ファビエンヌは知能指数が高すぎることが玉に瑕で、兎も角も才媛であるが美人でもある。『芸術新潮』2005年12月号65ページの写真、クレー作品「海のかたつむり王」の前に立っているのが彼女だ。論文は来年本になる。この先ファビエンヌは何冊もの本を書くだろうが、記念すべき一冊になる。高校時代、同級生のモニカ(だったか?)と日本旅行を夢見て、彼女がクレー財団に就職して間もなくの頃だった、この度クレー財団で働くことになったエッゲルホーファーと申します、実はプライベートで日本に行くのですがもしお目に掛かる機会があれば幸いに存じますと、遠慮がちなメールを送ってきたのはいつのことだったか、高田馬場の焼鳥屋に二人を招いてご馳走したのが彼女との最初だった。
翌日は所謂「自由行動」の日だったが、お仲間を放っておく気はさらさら無く、みんなでバーゼルに行った。月曜日はバーゼル美術館は閉館日だったが、バイエラー財団が開いていた。見事な「シュルレアリズム展」、さらに見事だったのはルイーズ・ブルジョワ展の併設だった。
数年前、グッゲンハイム美術館でブルジョワの回顧展を観たが、その時は余りピンとこなかった。だが今回、バーゼルで観たブルジョワはかなりピンときた。バイエラー・コレクションの常設展示のあちらこちらにブルジョワの彫刻作品が点在し、え、これもブルジョワ?ほんまかいな?という作品もあった。と云うより、近代美術との意外な繋がりを示唆する実に優れたキュレイターの配置であった。地階にブルジョワの専用展示場、そこには200点を超えるドローイングが並べられていた。「インソムニア」(不眠症)と題された連作で、事実、ブルジョワ自身が不眠症に苛まれた時期(約1年間)に描かれたアールブリュのような、かと思えばソウル・ルウィットのような幾何学的な、また密室的なエロティシズムに満ちた、この芸術家が心の奥底に持ち堪えた言葉(ラングェッジ)があって、私たちは感動した。
こうして私たちの「クレーのシチリア旅行を訪ねて」旅行会は終わったのだが、得るところが大きかった。まだ整理が付かない。これから徐々に反芻すべきであろう。10月18日、参加者の皆さんをジュネーヴ空港にお送りし、私だけはもう二日ほどスイスに留まった。ジュネーヴの駅前に安宿を取り(2日で200フラン、1泊8,800円)、所用でベルンを往復したが、最後の夜、ジュネーヴ湖畔の高級ホテル「ボー・リヴァージュ」の前を通り過ぎたとき、ふたたび甘い思い出がよみがえった。